爺が時事を知ったかぶり

憂国ジーサンの戯言

日米開戦の日

1941年12月8日は、日本軍による真珠湾攻撃が行われた日です。
学校で習った歴史の授業では、太平洋戦争が日本の侵略だったという内容でした。
でも、調べてみるとそうではなかったと気づきました。
大雑把ですが、メモを残しておきたいと思います。


1900年代初頭のアジアは、ほぼ西洋列強の植民地になっていた。
独立していたのは日本とタイぐらい。
宗主国が潤うだけで、元からの住人は下僕扱いだったようだ。

日本は江戸時代末期には、既に西洋列強のヤバさに気づいていた。
明治時代の富国強兵は列強に飲み込まれないための政策だった。
日清、日露戦争で日本は勝利し、西洋列強に一目おかれるようになる。


とはいえ、西洋列強にとって日本は邪魔な存在だったようだ。
1930年代後半(昭和10年頃)にABCD包囲網によって
石油などを輸出規制および禁止される。
ABCDは、アメリカ合衆国(America)、イギリス(Britain)
中国(China)、オランダ(Dutch)各国の頭文字を並べたもの。

資源の少ない日本は、国民の生活すらおぼつかなくなる
状況になることが目に見えていた。
そのままでは国力が弱まり、列強の植民地になる。
日本国内は、開戦か対話による決着か揉めていた。
陛下(昭和天皇)は開戦を避けるように指示していたようだ。
その時、朝日新聞を筆頭に開戦を声高に報道したとのこと。
国民もそれにのせられ開戦へと突き進む。


日本という国を存続させるために、資源を求めての戦争に突入した。
アメリカのルーズベルト大統領は日本相手に戦争をしたかったとも。
でも、アメリカ国内はその気がなかった。
日本軍の真珠湾攻撃によって、アメリカの世論は
大統領の思惑通り、一気に参戦に傾く。


アメリカは、真珠湾攻撃を事前に知っていたという説もある。
その証拠に空母は一隻も湾内にいなかったし、停泊していたのは
旧式の軍艦が多かった。


アメリカは、アジアでの覇権拡大を狙っていたので、
真珠湾攻撃がなくても、当時の状況では
いつか日本軍と戦うことになっていたと思います。


戦争に負けた日本は悪者扱いされることになる。
しかし、実情は止むに止まれぬ戦いだったのだ。
日本は奇襲した卑怯な国というのは戦勝国のプロパガンダ。
しかも、侵略ではない。
第2次世界大戦後、アジア各国の独立戦争で、現地に残っていた日本軍が手助けしている。
日本は大東亜戦争といってアジアを植民地から解放する大義名分があった。
アジア各国は日本に感謝している(中朝だけは別)。

戦争は、しないほうがいいに決まっています。
でも、国を守るためにしなければいけない時もあるのだ
と知りました。
戦争は最後の外交手段だと思います。