爺が時事を知ったかぶり

憂国ジーサンの戯言

真実の扉

グローバリズムに汚染された世界を、詩的に語っている動画です。
映像もなかなか素晴らしく、考えさせられる内容だと思います。
スピリチュアルな面もありますが、概ね賛同しましたので貼り付けました。
文字起こししたものは下部分にあります。

人間を支配しているもの  IN-SHADOW - A Modern Odyssey - アニメーション短編映画
自然が全体で一つの生態系を育んでいるように、
すべての生命には一つの普遍的な意識が
宿っていると考えることができます。


故に、私たち一人一人にもその意識が宿っています。
一方私たちは、一人一人が分離し、
肉体こそが自分自身であるということに
なんら疑問を持つこともなく、それぞれが単独の存在である
というような固定観念を持ち
目に見える世界こそが本質だと錯覚しているのです。


それが3次元世界に囚われた私たちの意識です。
つまり私たちの意識は、肉体いわゆる3次元にその限界を
自ら作り出しているのです。
それがまるで魂を箱に閉じ込めたように、
幽閉されていると捉えることができます。


つまり、私たちが目にしている世界は、囚われた不自由な魂が
見ている世界観に過ぎないのですですから。
私たちはこの世界の本質ではなく、五感という限られた視野で
その幻影を見ているのです。


物質こそがすべてに勝る価値であるという、
3次元世界にとらわれた人間の
観念が作り出したのは、あらゆる物質を所有するものこそが
頂点に立つというようなピラミッド社会です。
その頂点に君臨した者たちは、すべてを所有したいと願い
ゆえに自分たちにとって都合のいい
「こうでなければならない」という観念を人々に刷り込んでいきます。


観念にとらわれた人々は、自分の本来の魂に耳を傾けることなく
善悪観念や優劣観念といった囚われた観念によって、
自ら悩みや苦しみを次から次へと生み出していきます。


常識とは「こういうものだ」という観念は、
「働かなければならない」という思い込みを生み、
人々を必要以上の労働へと駆り立て、
また、皆がしている生活こそが幸せであるという思い込みが
その社会構造を永遠にとどめ
大半のものはそんな社会に疑問を抱くことはありません。


人々は己の魂の声、すなわち自分の内側ではなく外側の情報を新たな観念として
いともたやすく受け入れるようになります。
例えば「マスクをしなければならない」という観念を植え付けられれば
その観念に従うことを良しとし、それは社会通念となり同調圧力となり、
いずれ「マスクを外す」ことが非常識であるという
思い込みを生み出すことになります。


つまり固定化した観念には、何ら疑問を持たないということです。


例えば、そのような観念は生まれたばかりの赤ちゃんには存在しません
しかし「こうしなければならない」という大人たちの観念、
そして、これが「正しい正義である」という大人による観念の刷り込みが
大多数の子供に、マスクを強要させることになるのです。
これはマスクを一例とした観念の刷り込みの氷山の一角に過ぎず
大人が刷り込んだあらゆる観念を鵜呑みにした、
子供たちの善悪観念が時代を超えて争いの歴史を終わらせないのです。


指導するのは、善と悪を意図的に作り出している
善という名の「仮面をかぶった一部のエリート」たち。
そして、善悪観念にとらわれたテレビニュースを、疑うことを知らない大衆が
戦争という戦争を後押ししてきました。


これは歴史を遡れば、誰もが知ることができる事実です。


テレビキャスターや芸能人セレブに至るまで、
メディア出演者は雇用主に盾突くことができるのでしょうか?
どのようなテレビ出演者においても、スポンサーありき台本ありきで
仕事を請け負っているということは言うまでもありません。
つまり、出資者であるスポンサーは、常に善という側面で
メディアでは取り扱われ決して悪になることはないのです。


このような社会構造に気づいた少数派は、陰謀論者として社会から外れ
そんな心の穴を埋めるかのように、
ネットの世界に仲間や救世主を求めるようになります。


しかし、ネットも彼らの情報によって刷り込まれた、
人間の観念が作り出した幻を見ている。
本質とはかけ離れた、この3次元世界の中のさらに狭い檻の中に
自らを閉じ込めているようなものなのです。
故に、狭い視野で見た情報が、あたかも正しいと思い込むことによる
争いや分断が終わることはありません。


そして、私たちは外側の情報から刷り込まれたあらゆる自我によって
その行動をまるでコントロールされたかのように、
皆が同じような衝動に駆られるようになってきます。


女性ならば外見への執着を抱くよう促され、外見が綺麗になるためのものに
どれだけの犠牲が伴っているのか知る機会もなく、因果を背負うことになり
厳選された女性は、男性を骨抜きにするために利用されています。
男性もまた、同じ3次元である肉体にこそ、
自分の価値を見いだすように促されています。


自分が
自分こそが
自分だけが
自分さえ良ければ


このようにして自我は増長され、精神は破壊されていきます


一方、個性を見出せない者は、自分の価値を見失うことになりかねません。
あらゆる観念の刷り込みは、自我の同調を意図し
このような利己主義の増長が、人間都合の環境を育み
同時に人間以外の動植物への不調和を生み出しています。
動植物の不調は、巡り巡って人間の体を侵し、
また遺伝子組み換えや添加物といった不自然な食生活が
人間の不調和を後押ししています。


そのようにして、病院や入院患者は絶え間なく増え続け、
それを良しとして大手製薬会社は、医師会や政府と結託し、
その懐を潤わせているのです


つまり、エリート同士は、利害関係が一致しているということです。
自我の増長によって、人は病気の原因を作り、病院はその需要に応える。
患者は、痛みの一時的な緩和を求めて、医者をまるで神のように盲信する。
しかし、医療に携わる科学者でさえ名誉と金で買収することができるのです。
それが人間の持つ欲望の摂理。
つまり、繰り返しになりますが、すべてのエリートは、利害関係が一致しているのです。


ゆえに、資本主義社会とは、庶民を食い物にする
弱肉強食の世界ということが言えるのです。


しかし、庶民はエリートを善だと思い込んでいます。
エリートは、庶民を一時の快楽に浸らせ思考停止にさせることで
多くの庶民が資本主義社会に、疑問を抱かないように働きかけています。
なぜなら、銀行システム自体が万年筆マネー(注)と同様であり
まるで現代版の奴隷制度のようにエリートが
庶民から金を巻き上げるためのシステムになっているからです。


しかし、盲目なほとんどの庶民は、その実態を知ることはありません。
ゆえに優秀なエリートだけが、私服を肥やし潤沢な資金で
庶民をコントロールすることができるのです。


これらをエリートは、陰謀論だとして流布することで
庶民同士が言い争うことを意図し、都合の悪いことは決して公表されることなく
沈黙の渦の中に消えていくのです。


インターネット上で、どんなに事実を拡散しようとも
エリートや主要メディアが言うことが「正しい」として
世論は形成されていきます。
故に、テレビが善とするものを視聴者は盲信することになります。
しかし、それらは代替えの利く操り人形にすぎないのです。


政治は、与野党グルのプロレスごっこに過ぎず
庶民にとっての善の役者と悪の役者を、エリートは操っています。
つまり、庶民が盲目である限り、
常にエリートの情報に踊らされることになるということです。


このようにして私たちは、外側の情報に踊らされている限り
それぞれが、各々の観念という檻を自ら育むこととなり
その自らの観念で、自らを縛り付けているのです。


目に見える物質次元で今現在を考えた場合、私たちを縛り付けているのは
一見して外側からの権力によるものだと捉えることもできますが、
実際にそのような情報による誘導はあれども、強制されているものは
税金以外にはほとんどないというのが今の日本の現実です。


つまり、私たちを縛り付けているものは権力ではなく
各々が持っている「こうしなければならない」という観念という檻、
そして情報によって、自らが生み出した欲望や恐怖という自我意識こそが
私たち自身を支配していると考えることができます。


つまり、外側から得た情報によって刷り込まれた思考が、
あなたを支配しているのです。


そうであるならば、私たちが疑うべきは自らの「こうしなければならない」
という観念であり、その自らの観念を俯瞰して捉えるという、
いわば次元を超えた広い視点を持って己を観察することで、
初めて自分の持ち合わせている観念という名の檻から出ることができるのです。


人は、安心という心の状態を維持するために
家庭を築き労働に勤しむわけですが、現代社会はすでに人間にとって、
これ以上ないくらいに恵まれた環境にあると思います。
仮に、そう感じることができないとすれば、
その原因は人との比較によって劣等感を感じているか、
善悪観念によって悪を捉えている。
もしくは、満たされない欲を抱えている。
あるいは、外部の情報によって未来に不安を抱いている。
過去の失敗への執着を手放すことができない、
人からの評価でもって、自分自身の価値を求めようとしている。


このような現代社会が生み出した多種多様な自我意識が、
安心という気持ちを遮っていると考えることができます。


生まれたばかりの赤ちゃんに自我意識が全くないのと同様に、
私たちは本来自我意識がなかったのです。
つまり、成長過程で外側から得た情報や観念によって、
私たちは自ら檻を作り、今そこにある安心や幸せを曇らせているだけなのです。


たとえ空が曇っていたとしても、雲の上には常に太陽があるように
自我意識という魂の曇りを拭い去ったその先には、
太陽のように光り輝く本来の自分が常に存在しているのです。


この世は唯一の光(愛)によって、見えている影(幻)にすぎない。
ゆえに外側の闇ではなく、内側に眠る光を体感した時
全ての実在しない陰に怯えてた自分に気付くのです。


(注)万年筆マネーとは「預金という元手がなくても、貸出をすれば、
   それと同額の預金が生まれる」という意味。