爺が時事を知ったかぶり

憂国ジーサンの戯言

わたしは左翼でした

今は亡き父が社会党支持者だったので、物心ついた頃から次のような事を
さんざん言い聞かされていました。


・金持ちは悪い事をして金儲けしている
・先の戦争では日本人が悪いことをした

・天皇は戦争の責任をとらずにのうのうと生きている
・社会党は良い事をしている


その結果、
30代半ばまでは貯金が30万円以上になる事はありませんでした・笑。
何故なら「金=悪」という価値観しか持てなかったからです。
ある程度お金がたまると、引越したり、高額な物を購入していました。
知り合いに、お金を貸してもいました。
そのお金はほぼ返してもらえませんでしたが、
お金と別れたことで安心した側面もあったのです。


それから、日本という国に対して何の愛着も持てませんでした。
というより、国という枠組みは不必要だと思っていました。
国境というものがあるから、争いが絶えないのだとも。
だから、ヒッピー(若い人には意味不明でしょうね)に憧れましたし、
ジョン・レノンのイマジンという曲が好きでした。


当然のように、社会党や共産党を支持していました。
それが、当時のインテリの象徴のような面もあったと思います。
自分より少し上の年代の方達は学生運動に熱心でした。
その人達の影響も少なからずありました。


それでは、左翼思想から脱却できたきっかけは何かというと、
「きけ わだつみのこえ」という書籍です。
戦争で亡くなられた学徒兵の遺言集です。
もっとも、この本は反戦のために出版されたようです。
そのため、文言を変えて掲載している箇所があります。
出版元が左翼の岩波書店ですからね。
それでも、日本を守るために殉じた方達の思いに心を動かされました。
特攻隊の方達の遺書は、もっと日本という国を、家族を守る思いが詰まっていました。
そして、先の戦争は何だったのか考えるようになりました。


決定的に左翼思想と決別できたのは妻のおかげです。
当時の自分からみれば、妻は軍国女子でした・笑。
天皇陛下を敬愛していたし、大日本帝国万歳や帝都復興が口癖でしたから。
妻からの情報を元に自分でも調べてみると、父や学校で教わったことと
違うことが見えてきたのです。
日本は先の戦争を「大東亜戦争」とよんでいました。
その意味を知り、日本人って凄かったんだと思うようになりました。


父も軍人ではありましたが、内地勤務(海軍主計局)でしたから
戦地には行っていません。
その父も酔いつぶれた時は、亡き戦友の名前を口にしていたようです(母の話)。
その方は、新兵の頃に仲良くなった方で南方で戦死なさったと聞きました。
軍人だった頃の話を楽しそうに話すこともありました。
父にとって軍隊時代は青春そのものだったからだと思います。
結局、父も戦後のGHQによる日本軍が悪いというプロパガンダに
騙された一人だったのです。