爺が時事を知ったかぶり

憂国ジーサンの戯言

日本は守られているかもしれない

オリンピック最終日を避けるように、台風がきました。
風が強かったけれど、不浄なものを吹き飛ばしてくれた
ような気がしました。
この時期にしては珍しく富士山がよく見えました。
神様がいるとしたら、まだ日本を見捨てていないように思いました。

オリンピックを開催するとコロナが拡大するから反対!
コロナ変異株の見本市になる!

とか言っていた、マスコミや左翼達の主張は根拠がなかった事が判明しました。
それを訂正することもなく、いつものごとく政府の批判に勤しんでいますね。


東京オリンピックは、コロナ禍のなか成功したのではないでしょうか。
海外からも「日本だったから開催できた」と評価されています。
日本人選手の活躍も素晴らしかったですね。


それに引き換え、式典の散漫な演出はせっかくのオリンピックを
台無しにしてしまったように思います。
国籍不明の踊りには目を背けたくなりました。
マツケンサンバのほうが百万倍良かったのではないかな。


日刊スポーツの記事で納得しました。
式典の演出を担ったのは、日置貴之氏です。

制作チームのエグゼクティブプロデューサーという肩書きですね。
ご本人は、今まで演出の仕事はした事がなかったようです。
そんな人が演出の統括をしているのですから、
まとまりのない式典になったのではないでしょうか。


この方が唱える、東京オリンピックの式典の基本コンセプトが
「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と調和)」だそうです。


多様性は混沌としか思えないような演出でした。
調和は電通との馴れ合いですかね。


東京オリンピックは当初「復興五輪」というコンセプトでした。
「復興五輪」はどこにいったんでしょうか?
日置氏のコンセプトには、出てきませんね。


彼はそれに対して次のように語っています。
「復興五輪という言葉を省いたつもりはない。
たまたま書いていないだけ。
演出には復興の観点もあり、1ミリも忘れていない」


ブログ主には偽善としか思えません。
海外のかたから、こんなふうに思われていますよ。
日刊スポーツの取材に応じた外国人記者からは
「何を表現しているのか理解するのが難しかった。
特に復興五輪がどこで表現されていたかは全く分からなかった」
などと酷評を受けた。


個人的な意見だけれど、
式典には日本の祭りに使う山車を各地から呼んで
ズラ〜ッと並べて、お披露目して欲しかったな。
青森のねぶた、秋田の竿燈、仙台の七夕などの東北の祭りも
華やかでいいと思う。
そっちのほうが、よほど復興五輪らしいと思うよ。